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オーストラリアの簡単歴史年表

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オーストラリアの歴史HISTORY OF Australia

オーストラリアの歴史について

  • 国名; オーストラリア(Australia)

オーストラリアの歴史年表(先史時代から近代まで)

オーストラリア大陸には、先住民のアボリジニが、約6万年前の最後の第4氷期中頃に東南アジアから移住してきか、パプアニューギニアから当時の原住民が陸続きだったオーストラリア大陸へ移動して発見したか、あるいは島伝いに渡ってきたとされています。オーストラリア全土で集落を形成し季節毎に移動し、狩猟、採取によって長きに渡り世界最古の独自の文化や生活を営み文化を作り上げ、オーストラリアを形作してきました。文字を持たなかったアボリジニらは、それらを歌や踊り、ロックアート(壁画)などで表現し、文化や伝統を継承し続けています。アボリジニとは英語の先住民族という意味で、オーストラリアにおいてはアボリジニやアボリジナルはオーストラリアに先住していた民族の総称として使われています。
また、ヨーロッパ人が入植するかなり以前から、北部ケープ・タウンを訪れたパプア系民族との交流をはじめ、北部に居住するアボリジニはインドネシア人や中国人との対外交易を行っていたようです。

最初にオーストラリアにヨーロッパ人が触れたのは、大航海時代の1520年代に香辛料などを求め東部探検したポルトガル人と考えられています。しかし、望むものが発見できず深く携わることはありませんでした。
その後、
◆1606年には、スペイン人のトレスがオーストラリアとパプア・ニューギニアの間の海峡、現トレス海峡を航海。オランダの探検家たちがオーストラリアの北部と西部沿岸地域を訪れ、タスマニア島を発見し、オーストラリア大陸の北と西の海岸線を地図に起こしました。
◆1688年には最初のイギリス人探検家ウイリアム・ダンピアが北西部海岸地域に上陸しました。
◆1770年にジェームス・クックがエンデバー号でオーストラリア東岸を発見上陸し、地図に記しました。
◆1770年4月にはシドニー湾岸近くに上陸したキャプテン・クックはさまざまな植物を採取し、植物(Botany)にちなんで上陸地をボタニー湾と命名しました。
また、この頃、独立戦争によって、アメリカの流刑地を失ったイギリスは、これに替わる新しい流刑植民地をオーストラリアに求めました。
◆1788年にイギリスがオーストラリア東部全体をイギリスの土地とし、「ニュー・サウス・ウェールズ」と名付けイギリス領として宣言し植民地としたことがヨーロッパ人の入植の始まりとされています。
その後、約80年間で、イギリスから約16万人の囚人がオーストラリア大陸に渡りました。実際には一般の植民者は囚人よりもはるかに多く入植したようです。

{ヨーロッパ人入植時のアボリジニ}
オーストラリアの先住民であるアボリジニは、ヨーロッパの移民たちが入って来た当時およそ30万人から100万人がいたとされています。狩りや食物を収集しながらオーストラリア大陸全体に分布し、グループに分かれて500の違った文化を持ち、250の違う言葉を話していました。住む土地も様々にさまざまに異なっていて、各種族が自らの土地との精神的なつながりを持っていました。しかし、その一方ですべてのアボリジニには共通のドリーミングという信仰をもっておりました。字を持たなかったアボリジニの神話によりますと、先祖の霊が生きとし生けるものすべてを形作り、過去、現在、人々、土地を絶え間なく繋げる役割を果たしていると考えられ、ドリーミングのストーリーでは、先祖の霊の旅を歌や踊り、絵画や語りを通して伝えています。ちなみにオーストラリアの植民地化はアボリジニの人々に甚大な影響を与えました。彼らは土地を剥奪され、ヨーロッパから入ってきた病気により罹患・死亡し、伝統的なライフスタイルや風習の崩壊を強いられました。

◆1788年1月26日には、後にニュー・サウス・ウェールズ州の初代総督になったアーサー・フィリップ率いる11隻の第一船団が、シドニーのボタニー湾に到着。流刑地としての入植が始まります。(第一船団で入植したのは1,500名、その半数が囚人)。その後、流刑者ではなく純粋な開拓民による植民地移住が認められました。
さらに数キロ北上したポート・ジャクソンに植民地を建設し、その後、大都市シドニーに発展しました。
ボタニー湾に上陸した1月26日は、現在もオーストラリア・デーとして祝日となっている。
◆1820年代までには、多くの兵士、役人、解放された囚人たちが政府から与えられた土地を肥沃な農場へと開拓するのに成功します。オーストラリアには安価な土地と豊富な仕事があると聞きつけ、英国からさらに多くの移民が続々とやってきました。
◆1825年、兵士と囚人の一団が、現在のブリスベンに近いユゲラ族の領土に入植しました。
◆1829年には西オーストラリアも正式にイギリスの領有と宣言された。
◆1836年にはマレー川河口に南オーストラリア植民地が誕生した。
◆1835年には大牧場主がポート・フィリップ・ベイまで航海し、後にメルボルンとなる入植地を選定しました。同時期に、囚人とは無関係という触れ込みの英国私企業が、南オーストラリア州アデレードに入植しました。
19世紀半ばにバサーストで発見された砂金をきっかけに、ゴールド・ラッシュが始まりました。
オーストラリアには、世界各地から1850年の40万人から1860年には114万人と一攫千金を夢見る移民が押しかけ、人口は急増しました。また、この時期にイギリス政府は入植者に独自の法律をつくる権利を委譲したのです。
◆1851年にニュー・サウス・ウェールズ州およびビクトリア州中央部で金が発見されました。
◆1852年から1889年の間に、金を探して約4万人の中国人移民がオーストラリアに入りました。
◆1854年にはユーレカ砦で反体制の流血闘争が起きました。金鉱労働者は戦いに破れましたが、同年には権利が認められ法律が可決され、金採掘の免許を所有する採掘者全員に、選挙権と議会への立候補権が与えられました。
◆1868年に囚人護送が終了するまでに、16万人もの男女の囚人たちがオーストラリアに渡ることとなりました。
◆1891年、シドニーで連邦政府結成のための会議が初めて開かれ、現在の州の核となる6つの植民地が集まって、さまざまな問題解決を図り、議論を重ねていきました。10年の歳月をかけて、国家の機軸となる憲法草案をまとめ、それをイギリス政府が承認しました。
◆1901年1月1日オーストラリアの6州は、、一つの国家と「オーストラリア連邦」が誕生しました。
◆1914年第一次世界大戦への参加。 連邦国家が成立して間もなくのイギリスがドイツに宣戦布告をし、第一次世界大戦が勃発。イギリスと深い関係を持つオーストラリアも参戦することになる。ニュージーランド軍とともに結成されたアンザック軍団には、オーストラリアは当時、男性の人口は300万人以下であったにもかかわらず、42万人が志願して出征し、約6万人が帰らぬ人となりました。大きな犠牲を払ったオーストラリアは、この後、国際連盟への加入が認められ、国際社会での地位を確立していきました。また、オーストラリア政府は帰還兵に農地と基金を提供する「ソルジャー・セトラー・スキーム」を設立しました。
◆1920年代には新しい車に新しい映画、アメリカン・ジャズとアメリカ映画、そして英連邦への帰属を第一義とする世論が一世を風靡しました。
◆1927年に計画都市として首都キャンベラが建設されました。
◆1929年の世界恐慌では、社会および経済の分裂が拡大化し、多くのオーストラリア金融機関が倒産しました。
◆1945年の第2次終戦後、オーストラリアには、ヨーロッパと中東からの何十万人もの移民が好況に沸く製造業に仕事を求めて移住してきました。
◆1950年代は、鉱物資源の開発や水力発電事業など、国家的なプロジェクトが行われました。
また、社会保障の拡充と通信の発達は目覚しく、この時期にテレビも登場しました。 スポーツ分野でもオーストラリアは注目されました。
◆1956年、南半球で初めてのオリンピックがメルボルンで開催され、国際的に知名度がアップしました。
◆1960年代には1947年の40パーセントばかりであった住宅保有率は、70パーセント以上にまで拡大しています。また、イギリスの影響が弱まり、アメリカやアジアなど、広く世界と関わりを持つようになってきました。
◆1967年には、連邦政府が実施したオーストラリア先住民に参政権を与え、彼らを将来の国勢調査に含むことの是非を問う国民投票において、圧倒的多数の賛成票が投じられました。
◆1972年には、オーストラリア労働党が弁護士ゴフ・ウィットラムの理想主義的リーダーシップの下で政権を獲得し、戦後続いてきた自由党と地方党による連合政権は幕を下ろしました。
その後3年の間に、ウィットラムの新政権は、徴兵制の廃止、大学授業料の無料化、無料の国民健康保険の導入を行いました。また「白豪主義」を廃止して多文化主義を取り入れ、無過失離婚と男女平等賃金制度を導入しました。
◆1975年には物価の高騰とスキャンダルにより、連邦総督による政府の解散を招くことになりました。これに続く総選挙で労働党は大差で敗北し、自由党・国民地方党連合が1983年まで政権を維持することになります。

現在のオーストラリアでは、戦後の移民政策がさらに推進された結果、さまざまな国の出身者が移住してきた。先住民や移民を含めて、すべての国民が平等であることを政府が公約し、多民族によるユニークな文化を形成する国家となっています。

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